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市川鰕蔵の竹村定之進

市川鰕蔵の竹村定之進

通常価格 ¥8,500 JPY
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この絵は写楽の代表的傑作で、寛政六年五月の河原崎座上演「恋女房染分手綱」に登場する役を描いた作品です。ここに描かれた蝦蔵の顔は、実に印象的で吊上がった眉の下の眼は生きているかのよう。引き歪められた口もとからは、今にも声がもれてきそうです。顔面の屈線はえぐったように鋭く、物すさまじいまでに当時役者の王者であった蝦蔵の偉大な芸格、風貌を描いています。被写物の真をとらえないではいられない、写楽の芸術の究極の意欲がここに結晶された思いがします。 市川蝦蔵は、五代目市川団十郎が、寛政三年に改名した名前でした。四代目団十郎の実子で、三世松本幸四郎から明和七年十一月に五世を襲名しました。ある評判記に「この上はよき薬を以て、もちっと太りを付けたいもの」とありますが、その評語にあてはまる風貌を写楽は如実に描ききっています。天明、寛政時代の江戸歌舞伎界の大御所であり、その芸風は、大場にして、唯一筋に狂言の道を立てることを主としたといい、文章にも長じ、反古庵といって俳句を花道のつらねと称して狂歌をたしなんでいました。寛政八年には向島に隠退して成田屋七左衛門と改名しましたが、その後四回、求められて舞台に立ったそうです。文化三年十月、六十六歳で没しました。


東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)

生没年不詳
寛政6年(1794)、浮世絵界に彗星のように登場し、わずか10ヶ月の作家活動の間に140数点もの浮世絵を世に送り出すと忽然と姿を消しました。写楽は大判のしかも背景を高価な黒雲母摺という尋常ならぬデビューを果たしました。版元の蔦屋重三郎は、歌麿が重三郎の専属を離れたのちに大々的に写楽を売り出しましたが、次第に大判が少なくなっていきます。その理由として、写楽の人気役者であろうと美化せずに、ありのままを描きとる筆致は、役者ファンをはじめ当時の人々の好みに合わなかったからなのかもしれません。しかし、どれも躍動感にあふれた役者絵は見る者に強烈なインパクトを与え、海外でも高い評価を得ています


東洲斎写楽選 東洲斎写楽
写楽の作品が重んじられる理由のひとつに、その遺品が少ないということにあります。また残念ながら写楽の芸術を理解し、認識したのは日本ではなく海外が先でした。日本人が彼の作品を認めない間に、多くの作品は海外に流れ、その芸術が絶賛されたのです。昭和18年、海外から持ち帰った松方コレクションが博物館に入り、その数も増した程度であり、こうした限られた少数の作品を復刻したのがこの40作品で、いずれも写楽の大傑作です。

寸法:横21cm×縦31cm

用紙:越前生漉奉書

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