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二世市川高麗蔵の亀屋忠兵衛 中山富三郎の梅川

二世市川高麗蔵の亀屋忠兵衛 中山富三郎の梅川

通常価格 ¥8,500 JPY
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この絵は写楽第二期の作品で、第二期作品中全身二人立図七枚のうち、これだけが白雲母背色でなく、黒雲母摺作品になります。寛政六年八月、桐座の二番目狂言、梅川忠兵衛の芝居「四方錦故郷旅路」の大詰道行浄瑠璃の「月眉恋最中」の場を描いています。この図は実に歌舞伎味が豊かに表現され、歌舞伎の色彩、型、音楽、そして技芸、そうしたもののすべての情緒的な美しさがこの絵に盛られています。「二十日あまりに五十両つかい果して二分残る」の死出の道行き。せめて一目、親に逢ってと忠兵衛の親里新口村へ落ちていく二人の心根は、舞台上の詩情であり、またこの絵に漲る詩情でもあります。対の小袖、相合傘の二人連れは、歌舞伎の基調色である背色の黒雲母から浮かび上がって、画面は広い舞台面となって、見る人を陶酔の境へと導いていきます。舞台美を再現している役者絵の極致とも言うべきではないでしょうか。音楽的な描線の暢達(ちょうたつ)、衣裳と顔面、手足との配色美、もちろんこれらが適切にこの絵を美しいものにしています。 三世市川高麗蔵については、「三世市川高麗蔵の志賀大七」の解説に記しましたが、中山富三郎は、寛政から文政にかけての優れた女形で、上方から下って四世松本幸四郎の門弟となり、女の情のこまやかさを表現すること無類といわれ、「ぐにゃ富」のあだ名がありました。文政六年九月、六十歳で没しました。


東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)

生没年不詳
寛政6年(1794)、浮世絵界に彗星のように登場し、わずか10ヶ月の作家活動の間に140数点もの浮世絵を世に送り出すと忽然と姿を消しました。写楽は大判のしかも背景を高価な黒雲母摺という尋常ならぬデビューを果たしました。版元の蔦屋重三郎は、歌麿が重三郎の専属を離れたのちに大々的に写楽を売り出しましたが、次第に大判が少なくなっていきます。その理由として、写楽の人気役者であろうと美化せずに、ありのままを描きとる筆致は、役者ファンをはじめ当時の人々の好みに合わなかったからなのかもしれません。しかし、どれも躍動感にあふれた役者絵は見る者に強烈なインパクトを与え、海外でも高い評価を得ています


東洲斎写楽選 東洲斎写楽
写楽の作品が重んじられる理由のひとつに、その遺品が少ないということにあります。また残念ながら写楽の芸術を理解し、認識したのは日本ではなく海外が先でした。日本人が彼の作品を認めない間に、多くの作品は海外に流れ、その芸術が絶賛されたのです。昭和18年、海外から持ち帰った松方コレクションが博物館に入り、その数も増した程度であり、こうした限られた少数の作品を復刻したのがこの40作品で、いずれも写楽の大傑作です。

寸法:横21cm×縦31cm

用紙:越前生漉奉書

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