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二世市川門之助の伊達の与作

二世市川門之助の伊達の与作

通常価格 ¥8,500 JPY
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寛政六年五月、河原崎座上演の「恋女房染分手綱」で、乳人重の井と恋に落ち、主家の役柄が完全に描かれている作品です。一見平凡のように見え、やさ男で意思が弱く、じっと我慢して主家を追われる内面的な役柄が、その風貌にも衣裳の色彩にも表現され、写楽の描写力の厚み、奥行きがよく示されています。おどおどしたような眼、悲しみをこらえる口もと、躊躇する右手、これらの描写に切実味があり、衣裳の色彩が和事師の雰囲気を出しています。薄紫の着物に下着が黄と薄紅の二枚重ね。この薄い派手な色の配合が役柄のすべてを表しています。 二世市川門之助は、初世門之助の養子で四世市川団十郎の門に入り、弁蔵と称し、明和七年に二世門之助を継ぎました。風采にすぐれ、舞台は華やかで人気役者で、和事を主としましたが、評判記に「とかく荒事が好きと見ゆるが、此の人はやはりしっぽりした事がうつりませう」とあるように、しばしば市川流の荒事もつとめました。寛政六年十月、五十二歳で没しました。


東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)

生没年不詳
寛政6年(1794)、浮世絵界に彗星のように登場し、わずか10ヶ月の作家活動の間に140数点もの浮世絵を世に送り出すと忽然と姿を消しました。写楽は大判のしかも背景を高価な黒雲母摺という尋常ならぬデビューを果たしました。版元の蔦屋重三郎は、歌麿が重三郎の専属を離れたのちに大々的に写楽を売り出しましたが、次第に大判が少なくなっていきます。その理由として、写楽の人気役者であろうと美化せずに、ありのままを描きとる筆致は、役者ファンをはじめ当時の人々の好みに合わなかったからなのかもしれません。しかし、どれも躍動感にあふれた役者絵は見る者に強烈なインパクトを与え、海外でも高い評価を得ています


東洲斎写楽選 東洲斎写楽
写楽の作品が重んじられる理由のひとつに、その遺品が少ないということにあります。また残念ながら写楽の芸術を理解し、認識したのは日本ではなく海外が先でした。日本人が彼の作品を認めない間に、多くの作品は海外に流れ、その芸術が絶賛されたのです。昭和18年、海外から持ち帰った松方コレクションが博物館に入り、その数も増した程度であり、こうした限られた少数の作品を復刻したのがこの40作品で、いずれも写楽の大傑作です。

寸法:横21cm×縦31cm

用紙:越前生漉奉書

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