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当世子育草

当世子育草

通常価格 ¥13,500 JPY
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「節分のまめにそたてはおのづから鬼をもひしく和子のいたずら」と十返舎一句の歌が記され、歌舞伎女形の団扇を持ついたずら盛りの子どもに手を焼く二人の女性を描いています。 これは文化元年頃の作品で、この頃になると子どもをテーマにした作品が多くなってきています。この年、太閤記を題材にした作品によって入牢および手鎖五十日の刑を受け、心身ともに疲れをみせる歌麿ですが、衝立てと二人の女性と子どもをひとつの画面に巧みに描き込み、安定した構図を示しています。


喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)

宝暦3年(1753)~文化3年(1806)
狩野派の町絵師・鳥山石燕に絵を学んだのち、版元・蔦屋重三郎に才能を見出され、精力的に錦絵や狂歌絵本などを手がけるようになりました。1791年頃から美人画に大首絵を取り入れ、さらに評判の茶屋娘らをモデルとした作品で人気を博し、浮世絵美人画の第一人者への道をのぼりつめていきます。評判の美人をひと目見ようと、彼女たちの働く店に多くの人が集まるほど、歌麿の描く美人画は世の中に影響を与えていました。その後、寛政の改革の一環により多くの表現の制約が課せられましたが、屈することのない歌麿は浮世絵の黄金期を支える存在となりました。1804年、当時禁止されていた豊臣秀吉の絵画化で罰せられ、その二年後に没しました。


歌麿名作拾遺集 喜多川歌麿
歌麿の代表作「高名美人六家撰」の作品をも含む「歌麿名作拾遺集」です。歌麿は多種多様な作品を残しましたが、言うなればその肩書きは女絵師、あるいは美人画家といわれます。度々の弾圧や制約にもめげず、果敢に彼の信じるところの女絵を描き続けました。女性を正面から見つめ、生身の生活ぶり、肉体、心を描く、その洞察力は鋭いものがありました。歌麿の全作品のうち約三分の一は、吉原と遊女を画題としていますが、町家の母子の情愛や評判の茶屋娘らを描くなどの画域を広めています。浮世絵美人画の巨峰の上に立つ歌麿の30作品です。

寸法:横25.5cm×縦36.5cm

用紙:越前生漉奉書

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